楽園の嘘




 私はぺたんと床に座り込んでいた。

 目を閉じてみた。耳にそっと手を添えて、全ての音をもう一度きこうとしてみた。何もきこえない。何も見えはしない。当たり前だ。私は唇の端をぎこちなく吊り上げる。
 当たり前だわ。
 フローリングの床に触れた手が心地いい。手は熱く火照っていて、それを冷やすのに硬い木の板は丁度良かった。
 ほんの少し前まで、私の身体の中で最も幸せな部分だった、手は、私の左の手は、今は私を苛み後悔を増長させる部分でしかなくなっていた。

 あぁどうして引き止めなかった。

 私は怒りのような苛立ちのような、とにかく遣り切れない思いを強烈に覚えて、床に触れていた手を目の前にかざした。
 この手のひらだけが覚えている。この手のひらだけが全てを覚えている。手のひら以外はもう・・・・忘れてしまったのだろうか。触れるという行為。人の身体に触れるという行為。人の素肌に触る行為。他人の皮膚と触れ合う行為。体温を感じる行為。何かを確かめる行為。そう私はしきりに何かを確かめたがっていた。何度も何度もしがみ付くように、つないだ手をつなぎ直し、握った指先を握り直し、それでも物足りなくて、苛立ちに任せて何度も、先を行こうとするひとの腕を強く引いた。引き止めて、足を止めさせ、振り返らせて、私を見させる。馬を扱う手綱のようだ。引かれれば後ろを振り向く。私の方を振り向いてくれる。

 何。
 うぅん、何でもない。
 何だよさっきから。
 ごめん、何でもないの。

 一体いくつ、何という言葉を使っただろう。いくつ使っても足りない疑問符。何。意味を無くすくらいに何度も言ってみる。何。何時。何処。何誰。なに。いつ。どこ。だれ。足りない。もっともっと疑問符がいる。私は何も知らない。あなたも何も言ってくれない。私たちの共有してきた全てが、共有していないたったわずかな時間に負けている。
 苛立つ。私は苛立ち、彼もきっと苛立っている。彼の足が速くなる。私はわざとにゆっくりと歩く。苛立った彼はきっと強く手を握って、私を引っ張るように連れて行ってくれるだろう。一瞬で打算して、私は足をゆるめた。彼の少し後ろを歩いていた私は、すぐに彼に遅れ始めた。段々と私たちの位置が離れていき、私たちをゆるくつないでいた二本の手は、次第にぴんと糸のように張り詰める。私の左手はほとんど垂直に持ち上げられていて、同じようになった彼の右手と辛うじてつながっている。
 そうして、彼が私の手を握り直してくれる・・・・・・・・・・・・・

 ぱたん、と、私の手は支えをなくした。
 丁度90°の弧を描きながら、重力に従って、私の左手は、落ちる・・・・・・・・

 私は驚いて顔を上げた。


 私はぺたん、と床に座り込んでいる。

 私はフローリングの床の上で、静かに泣いている。
 左手がひどく熱い。冷え切った私の身体の中でそこだけが無性に熱を持っていて、私はその手を頬に当てた。けれどその一瞬の間に熱は逃げ去り、ぬくもりは消え去り、手は冷える。
 しかしまだ少しだけ温かかった。
 私は目を閉じた。



                                             2002/03/10









outernetの中で唯一マークのラップのない一曲、「楽園の嘘」のイメージで。
こういう、救いのない感じの独白モノって、好きです(笑)。書きやすい。二十分くらいでさっと書いてしまいました。

実は、このお話は、お話の前に「まずこの壁紙ありき」、なのです(笑)。このバック、すごく素敵でしょう?
これも「ぐらん・ふくや・かふぇ」さんの壁紙なのですが、前回の椿の壁紙を探していて、この「ハライソ樹海」(あぁなんてきれいな響きのタイトルなんでしょう)という壁紙を見つけて一目惚れしてしまって(笑)、「この壁紙に相応しいページを作るっ!」という決意をしてしまったのです。
で、「ハライソ」、つまり「paradise」、しかもかなり切なげなparadise・・・となると、globeの「楽園の嘘」か、もしくはRingちゃんのprivate pradiseか。private〜はチャイナチックだから、じゃぁ「楽園の嘘」で何か書けないかな、と(笑)。そんな動機で書きました。
「手をつないで歩いた しがみついて歩いた」とか「さよならの冷たさを ぬくもりにかえて 夢の続きを・・・・」というあたりの歌詞から浮かんできた話です。
ほんとは、もっと幻想的な雰囲気の話の方が似合うんでしょうが、私にはこれが精一杯(笑)。