Super Monker’s(4)
安室奈美恵 with Super Monkey’s
安室奈美恵

 今やよくも悪くも「国民的歌手」の看板を背負ってしまった一児のお母さん・安室奈美恵ちゃん。小室プロデュースでブレイクする前にMaxとともにダンスグループで活動していたことは有名ですが、彼女が今年で芸歴何と十年目にもなるベテランだってことは、結構知られてないんじゃないでしょうか。

 安室奈美恵(以下、アム)は1977年生まれの現在24歳。お母さまが日米ハーフだったらしいので、アムはクォーター、ということになるらしいです。あの顔やスタイル、ダンスは、本場の血が入っていたせいもあったんですねぇ(納得)。
 ご存知の通り沖縄で生まれ育ち、のちにSPEEDやDA PUMPを生み出す名門ダンススクール・沖縄アクターズスクールに小6くらいで入学。友達に誘われてたまたまスタジオに行ってみたところをスカウトされたとか、バス停に立っていたアムをマキノ校長が強引にスカウトしたとか、バス代がなくて毎日家から歩いて通っていたとか、彼女にまつわる逸話は多いです。
 1992年の9月に、東芝EMIからスーパーモンキーズとしてデビュー。アムは最年少でメインボーカルを取り(というか、ほとんどどの曲もアムしか歌ってない・笑)ますが、メンバーには後のMaxや、なんとSPEEDの新垣仁絵ちゃんのお姉ちゃんなども在籍していたことも。しかしデビュー後しばらくは鳴かず飛ばずで、アムもどこかのインタビューで「このころはほんとにつらかった。どこへキャンペーンに行っても、私たちの名前を知ってる人なんていなくて・・・」と語っています。
 デビュー当時はまだ中学生だったアムはこの時期ほとんど学校にも行かず、卒業式にも出ていないとか。そして、卒業式くらい出ないか!と言った学校の先生に対して、「だって中学校の卒業証書を持っていても、お母さんにご飯食べさせてあげられるわけじゃないもの」と言ったという逸話には、かなりホロリとさせられました(涙)。
 その後メンバーの入れ替えを何度か行い、スーパーモンキーズ4、そして安室奈美恵withスーパーモンキーズとなって、最終的には安室奈美恵としてソロ活動を始め、小室プロデュースになると同時にレコード会社をavexに移籍して、現在に到ります。
 ・・・まぁ、スパモン時代は鳴かず飛ばず、と言っても、セカンドシングルのDANCING JUNKは私と同年代のアニメっ子なら「忍たま・乱太郎」のエンディングとしてお馴染みだし、ガムのCMソングになった「愛してマスカット」もきき覚えがある曲でしょう(このCMでは、アムのぱんつが見える!と話題になったらしいです。笑)。
 初めてのヒット曲はTRY ME。ディヴ・ロジャースさまのプロデュースした同名のユーロナンバーの日本語カバーで、これでエムステには初登場(むちゃくちゃケバかった・笑)。その後「太陽のSEASON」「Stop the music」と連続してヒットを飛ばし、上がり調子になっていたところに加えて更に小室プロデュースというハクがつき、まさに「鬼に金棒、アムロにコムロ」((c)劇団新☆感☆線)状態、立て続けのユーロチューンで大ブレイク。
 1997年の10月に突然TRFのSAMにィと電撃結婚(入籍、という言葉は家父長制に基づく旧弊的な言葉だから、本来は正しくないらしい←法学マメ知識)。・・・この日、那々の高校の最寄り駅ではスポーツ新聞の号外が配られていたのを覚えています。そして一年間の活動休止宣言、翌年春に男の子を出産。
 人気絶頂の時期の活動休止はやはり響いたらしく、99年の幕開けとともに復帰してからは少々派手な話題に欠くアムでしたが(しかもRESPECT the POWER OF LOVEの、よりによって発売日にお母さまが亡くなるという不幸にも見舞われました)、2000年の夏には九州・沖縄サミットイメージソングNEVER ENDが大ヒット。
 その後、セルフプロデュースをしてみたいという本人の意思と、「このまま小室に任せていては、どんな曲もトランスになってしまう・・・」という危機感を感じたらしい(嘘)MAX松浦の戦略により、しばらくは小室プロデュースから距離を置き、他の作曲家の曲もシングルで歌うことになりました・・・・。