globe

What's the justice?

何が正義なの?

Nous sommes libres
 僕たちは自由だ
Libres de partir
 飛び立つこともできるし、
Libres de mourir de faim
 
飢えて死ぬこともできる

Dis-moi, qu'est-ce que c'est la justice?
 おしえて、これが正義なの?
Dis-moi, c'est combine le prix de la liberte?
 ねぇ、これが、どれだけの自由と平和だというの?
Qu'allons-nous faire maintenant?
 
僕たちは今、何をしようとしているの?
Maintenant qu'on est libre
 自由でいる、今に

A la tele
 テレビでは
Tout le monde continue a discuter…
 世界中が議論し続けている・・・
De l'autre cote
 その一方で
Des larmes et du sang qui coulent
 流される涙と血
Les enfants qui n'arrivent plus a dormir
 
もはや眠ることもできない子供たち
Alors que le soleil se couche sur une nouvelle vie…
 
新しい命の上に、太陽は沈むのに

Faut-il tout oublier?
 全部、忘れてしまいそうなの?
Regarde-moi dans les yeux
 僕の目を見て
Tu ne seras plus seul
 キミはもう、ひとりにはならない

Et ce chant si triste qui parait si gai
 そして、この歌がたとえ悲しくきこえても、楽しくても、
Est-ce la justice qui rend gai les choses tristes?
 悲しいことを明るく変えることこそが、正義じゃないだろうか?












これは、わりと訳しやすかったです。なぜなら、最初からある程度詩のテーマが検討ついていたから(笑)。
ただ、上から5行目は・・・ちょっと文法的にわかりませんでした。辞書片手に調べてみたんですが、どうも上手くいかない。でも、まぁ、多分こんな感じじゃないかな・・・?、という、フィーリング訳です(笑)。

しかし、訳してみて、かなりシビアな言葉が使われているのにビックリしました。
特に、あたまの、「飢え死にすることもできる」(直訳すると、「飢え死にする自由がある」)っていう言葉。辞書引いてみて、「えっ?」と思いましたもん。直訳してしまうと、ほんとにインパクトありますね・・・。
マークは、何よりも「Liberte」(リベるト、自由)を愛する人です。そして、バカ明るくて死ぬほど前向きな人であるのと同時に、常にどこかに、冷静で醒めた視線をも持ち続けている人だと思う。そういう人が「Liberte」を語ると、こういうシビアな、突き放したような表現になるのかなー、なんて、ちょっと思ったりもしました。昨今流行りの「自己責任」、みたいな(笑)?


後半は、わりとよくある感じの平和メッセージだとは思うんですが、そのままだと暗いイメージのまま終わってしまいそうなところに、ラストを「悲しみを楽しさに変えることが正義じゃないの?」という、前向き(?)な言葉で締めくくっているところが、すごく、いいなぁ、と思いました。
このポジティブさ、どんなところにでも希望を見出そうと頑張るところもまた、非常にマークらしい。
最後の2行、好きだなぁ。自分で訳しておきながら手前味噌なことを言うようですが(笑)。

ちなみに、訳していて、ちょっと、「あれ?」と思ったところが一つ。
フラ語は、全ての名詞と形容詞に、男性形/女性形の区別があるんですが、最後から3行目の「キミはもう一人じゃない」っていうところ、ここの「seul」(英語のonly、solo、singleなどの意味)という言葉は、男性形なんですよ。
つまり、語り手は(マーク)、は男性に向かって、もしくは男性とも女性ともとれない相手、性別不問の相手(英語で、男か女か分からないときはとりあえず「He」と表記するのと同じ)に向かって語りかけているわけです。
つまり、何が言いたいのかというと・・・マークはこの歌詞、ラブソング的要素ゼロな気持ちで書いたんだなぁ、と。そう思ったんです。